手乗りクリイロコガラ
昨日の午後、とっても嬉しいことがありました♪
うちの裏庭には、あちこちに拾ってきた枝を立てかけてあります
ヒマワリの種を食べにくる小鳥がとまってくれることを期待して
ここのところ、裏庭の日陰で、キャンプ用の折りたたみチェアに座って
コーヒー飲んだり、ブログ書いたり、ネットサーフィンしたり、結構長い時間過ごしています
ある日、コツコツ音がするので、ふと見たら、小鳥が椅子のすぐそばに立てかけてある枝にとまって、ヒマワリの殻をくちばしで突いて、器用に中身を食べてるのに気づきました
2,3回見かけたかな
同じ個体かどうかわからないけど、いつもクリイロコガラです
昨日もこのクリイロコガラが、枝にとまってヒマワリの種を食べてて
そぉーっとそばを歩いても飛び去らなかったので
試しに、ヒマワリの種を手のひらに置いて、食べ終わったコガラの近くにそぉーっと持って行きました
そしたら、なんと!
不思議そうに見つめた後、チョンチョンとやってきて、私の手のひらにとまって、種をついばんで枝に戻りました!
きゃーっ、初めてです、野鳥の手乗り!
うれしくて、今度は数粒種を乗っけて、差し出したら、また手のひらに乗ってきて、今度は嫌なのはくわえて捨てて、好きなのを選んでいきました!
いやー、うれしい~♪
3回目を食べ終わったら、お腹いっぱいになったのか、飛び去って行きました
手乗りになってるとこの写真は、ちょっと無理だけど
枝にとまってる写真くらいは撮れるかも
でも、今日はまだ見ていません
また、来て欲しいなぁ~
今日の庭 前庭の花いろいろ
今日は朝のうち、曇り
玄関に出たら、私の大好きなバラが、あまりにもきれいに咲いていて、しばし見惚れました
曇っていて、写真を撮るのにちょうどいい光加減なので、撮影会
グラハム・トーマス
一重咲きのばら モーニング・カラー・ローズ
ペチュニア
ペチュニア
ガーデニア
うーん、名前が思い出せない・・・(アリッサムでした)
それにしても、この写真だけ見ると
裏庭が、雑草茂り放題でお手上げ~・・・なんて、想像できないですよね・・・
ハハ・・・
あらっ、フライングで公開しちゃいました!
すでに、たくさんの☆を頂いているので、そのまま残しておきたいと思います
が、まだ続きがあります
よかったら、続きも読んで頂けるとうれしいです
↓ こちら
有難うございます
腑に落ちました(完全版)
父の家での暴言が「言葉の暴力」だっていうのは、かなり前に気づいたけれど
それが、心理的・精神的な虐待、とみなされる
ということは、今まであまり考えたことがなかったです
虐待なんて、自分には関係ないと思っていましたから
でも、調べてみれば
虐待にはいろんな種類があって、ニュースで取り上げられるような痛ましい身体的虐待以外にも(ほんとうに可哀想・・・)
傷つける言動、人格否定的な態度、本人の自由を奪うようなコントロールなどの心理的虐待
というのがあって、父の場合はまさにこれ、でした
私はもちろん、私が見聞きした限りでは、母や祖母、おば、おじも被害にあっています
10歳年下の妹も・・・無傷なわけはないと思うけど、父と妹はいろんな部分で癒着していたので、私にはわかりません
子供時代の虐待の後遺症と言われることで、自分自身のこととして思い当たるのは
●なぜか同じパターンで人間関係がうまくいかなくなる
●「他人の期待に応えたり合わせないと、自分が周囲から受け入れられない」という感覚がしみついていて、いつも自分をおし殺して生きているようで、苦しい
●心の奥に底知れないさみしさがあり、何かでそれを埋め合わせたいような衝動をしばしば感じて、言葉で表現できない苦しさがある
●人間関係の中で、自分に悪意や誤解が向けられた時に、適切に自分を守ることができない
●自分の本当の気持ちが感じとりにくい
●うつ状態、アルコール依存症(そんなにひどくないけど)、不眠、過眠
かな・・・
とにかく、今まで感じていた、いろんな種類の生きづらさの原因がわかって、何か「腑に落ちた」気がしています
それにしても、ここまで来るのに、時間かかった・・・💧
腑に落ちました(フライングで公開しちゃった版)
父の家での暴言が「言葉の暴力」だっていうのは、ある時点で気づいたけれど
それが、心理的・精神的な虐待、とみなされる
ということは、考えたことがなかった
虐待にはいろんな種類があって、ニュースで取り上げられるような痛ましい身体的虐待以外にも
傷つける言動、人格否定的な態度、本人の自由を奪うようなコントロールなどの心理的虐待
というのがあって、父の場合はまさにこれ、が該当します
私はもちろん、母や祖母、おば、おじも被害にあっています
10歳年下の妹
ず~っと眺めていたい♪
朝、やっとこさ起きだして、暑くなるから乾燥しやすい鉢植えだけでも、お水をあげなくちゃ・・・と思って、庭へ出ます
そこで、この子たちが飛び回っているのを見つけると、じ~っと眺めてしまいます
忙しく飛び回るたくさんのミツバチ
ラベンダーが好きらしく、1ダースはゆうにいます
小さく、低く響く、ブンブンいう羽音は、とても平和な響き
聞いているだけで、幸せな気持ちになります
歩道のコンクリートの日陰に腰を下ろして、しばらく飛び回るミツバチの羽音を聞きました
時々、モンシロチョウとかアゲハ蝶もヒラヒラとやってきたりして
芝生をなくして、お花を植えてよかったな
おばあちゃんへの仕打ち
私が子供だった1960年代から70年代は、まだ家庭内暴力、という言葉も考えもなかったと思う
さっきちょっとDVについてネットで調べてみたら
「子どもの見ている前で夫婦間で暴力を振るうこと(面前DV)は子どもへの心理的虐待にあたります」
と書いてあって、あぁ、そうだったのか・・・
父が私にしてきたことは、あれも、これも、心理的虐待だったのか・・・
だから、私は苦しくなってしまったんだ・・・
と、今頃になって、ようやく、初めて、はっきりと、認識できた、気がします
DV(ドメスティック・バイオレンス)と児童虐待 ―DVは子どもの心も壊すもの―| 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp)
この図に書いてあること、幾つも該当します
家族や親戚など、身内に対する父の異常で病的とも言える言動は、時としてあまりにも凄まじかったけれど、ほとんどは激しい言葉と強硬な態度による暴力でした
でも、ひとつだけ、どうしても忘れられない場面があります
前後のいきいつは覚えていませんが、何かの理由で、もうその頃は70代であったろう祖母の言動が父を激怒させ
年老いた母親の着物の胸ぐらを父がつかんで、罵りながら、ひきずるようにしたため、祖母の着物がはだけてしまい、下着をつけない祖母の恥部が露わになりました
私はもう大学生か社会人だったけど、そんな壮絶な場面を見せられて、精神的にすごいショックを受けました
父は、自分の母親が嫌いだったんだと思います
なのに、成り行き上、長男がいるにもかからわず、次男である自分が、同居して面倒を見なければならなくなった(話が長くなるので、細かいことは割愛)
そのことが、心の底でずーっと不満で、心の中で葛藤があったに違いありません
じゃなかったら、自分の母親にあんなひどい仕打ちはできない、と思う
母親に手を出したのは、一度だけかもしれないけど、日頃からものすごく意地悪でした
家族で夕飯のテーブルについて、鍋を囲んでいたある晩
椅子に腰かけた、背中が丸くなり小さくなった祖母には、ポータブルコンロの上に乗った鍋は、高すぎて手が届きにくい
私は「おばあちゃん、取ってあげようか」と声を掛けて、祖母の器に鍋の中身をよそおうとしました
途端に横に座った父から
「余計なことをするなっ!なんでも自分でできるんだから、自分でやらせろっ!」
という怒声が飛んできました
だから、私は多分、おばあちゃんによそってあげられなかった、と思います
祖母も確かに気性が激しく、扱いが難しい人で、同居するのは大変だったのかもしれない
でも、こんないじめのような態度しか取れないなら、兄弟姉妹がいるんだから、話し合えばいいのに、と思ったけど
そんなことにはなりませんでした