オレゴンから、Hi♪

アメリカ西海岸のオレゴン州から、還暦過ぎのあれこれをつぶやきます

元王子様とお姫様の米国滞在ビザって、どうなるの?

ついに帰国されましたね、元海の王子様、チョンマゲ頭のまま・・・

ニューヨークにいる間は、どんな髪型でも構わないけど

皇室のお姫様をお嫁に貰いに行くんだから、髪くらいさっぱりと散髪してくればいいのに・・・

ま、余計なお世話です

 

この二人のことについては、最近すでにブログに書きました

oregontabby.hatenablog.com

これ以外にも、アメリカに住んでる私としては、ずーっと頭の片隅で気になっていることあって・・・それは他でもない

 

ふたりのアメリカ滞在・移住に当たってのビザ

 

のことです

 

メディアでは「10月に婚姻届けを出して、その後ふたりでニューヨークへ移住」

と書いてますけど、「ん?そんなに簡単だったっけ?」

観光旅行じゃないからね・・・

 

アメリカに移住したい場合、一番カンタンなのは、アメリカ市民と結婚することで

(これ、私のケース・・・いえ、結果的に、ですよ)

 

元海の王子様とお姫様の場合は、いったいどうなってるんだろうと思ったので

ちょっと調べてみました(←暇です)

 

まず、元海の王子様は、学生ビザを取得して、留学生としてアメリカに入国

入学したニューヨークの大学が、留学生としての滞在を合法とする書類を発行します

大学卒業と同時にこの書類も効力を失います

失効後60日間は滞在できます、が、この期間は働くことはできません

あるいは

大学の最終学期に、移民局に必要な書類を申請することで、卒業後1年間働く許可(OPT=Optional Practical Training)をもらえます

(私もこれを利用しました)

 

元王子様は、すでにニューヨークの法律事務所に就職が決まったとのことですから、きっとこのOPTを使って、採用されたんでしょうね

 

ただし、このOPTの有効期限は卒業から1年なので、OPTを使って働けるのは来年の5月まで

その後、働き続けるためには、H-1Bという別の労働ビザが必要なんですが

2022年分のH-1Bのビザの申請は、2021年の春にすでに締め切っている そうです

(普通は、働いている職場がスポンサーになることで、H-1Bビザの申請が可能になります)

 

つまり、なんらかの特別かつ強力なコネがない限り、元王子様の労働許可証は、2022年の5月で切れ、その後ビザの猶予期間の60日間滞在したとしても(この期間は働けません)、その後、7月にはいったん日本へ帰国しなければならない

 

ということのようです

 

本人の滞在・就労ビザだけでも、こんな状況なのに、ここに深窓の姫を嫁として帯同するというのは・・・ 

 

海外在住の方はよぉーくご存じと思いますが、滞在・移住ビザにまつわる移民局への書類提出や面接など、時間もお金もかかるし、とても面倒です

ご結婚によって、平民となられた元お姫様が、ここで特別扱いをされることになると・・・海外に住む日本人からも嫌われますよ、きっと

 

私だって、気分悪いな、そんな特別待遇があったら・・・

 

 

 

 

主治医が、なかなか見つからない

毎日訪問するブログを読んでいて、そのブロガーさんが

よい主治医がなかなか見つからなくて、困っている(アメリカで)

ことがわかりました

私も同じなんです

 

ハワイからオレゴンに引っ越してきて、たまたまかかったお医者さんが、韓国系アメリカ人の女医さんで、2014年(だったかな)に引退されるまで、年に一回の検診、ひどい風邪に罹った時などに、ずっと診てもらってきました

クリニックは、家から車で3分

すごく腕がいい、という感じでもなく、可もなく不可もない、ごく普通の開業医と思っていましたが、こういうお医者さんが、探してみると実はなかなかいない・・・

 

年に一回の検診は、体重・身長から始まって、問診、聴診器での診察、乳がんの触診、直腸の触診、尿検査、血液検査、子宮のパップテストまで、ひと通りチェック

不必要な検査を勧めることもなく、毎回もっと歩くよう勧められ、風邪の時はお粥やスープを食べるよう言われたし

今思えば、私にとって、ちょうどよい加減の先生でした

 

彼女の引退後、診てもらった新しいお医者さんは、3人

ふたりは車で3分の場所で、そのうちの一人はアジア系の女医さんでしたが、なんだかつっけんどんで、冷たい感じで話にくいので、一度行ったきり

 

もうひとりは若い話好きの白人男性医師で、父親が開業したクリニックで、兄弟で勤務

アシスタント付きで問診、診察してくれるけど、乳がんの触診はもちろん、直腸の触診もなく、立派なレポートを渡されるわりに、なんかいまいちなので、2回くらい行っただけ

 

その後見つけたのが、自然療法を取り入れた、女性のナース・プラクティショナー(診断・処方ができる上級看護師)

この人のクリニックは、車で1時間近くかかるんですが、話をじっくり聞いてくれ、まさに「医は仁術」って感じ、一時は「この人なら看取ってもらってもいい」とまで思ったんですが

その後、何回か通って、ちょっと疑問が出てきて、その後、行かなくなりました

 

最初に診てもらった女医さんのような、個人経営の開業医は、今、少ないらしく

 

私の主治医難民状態は、まだしばらく続きそうです

 

 

そうそう、日本では会社の検診でやったバリウムを飲む胃の検査、こっちではしたことがなく、日本でよく聞く「人間ドック」はこっちではやったことも、聞いたこともありません・・・!

 

 

 

離婚についての習慣

少し前のブログで、江戸しぐさのこと、その子育てのこと、を書いたんですが

oregontabby.hatenablog.com

 

江戸時代の江戸の町って、リサイクルのシステムもしっかり構築された、驚くほどサステイナブル(持続可能)な社会だったんですね

 

これは、ネットで江戸しぐさのことを知る前に、たまたまこっちの図書館で借りた、江戸時代の暮らしぶりについての日本語の文庫本で読みました

 

思えば、ずいぶん前に、福山雅治が坂本龍馬役で主演した大河ドラマを見てて、「あれ?」と思うことがありました

龍馬を可愛がっていた姉が、確かお嫁にいったはずなのに、龍馬や家族と一緒に実家で夕餉の膳についている場面

なんでも、嫁ぎ先でうまくゆかなくて、こうして時々実家へ帰ってきていたらしく

確か、その後、離縁して実家に戻ってきたはず・・・

 

一緒に夕飯を食べながら、兄だかお母さんだかが、「まったく、こんなにしょっちゅう家に帰ってくるなんて」と文句を言いつつも、それ以上とがめだてするふうもなく・・・

当たり前のように、皆でお膳を前になごやかに食事する風景

それが、私にはちょっと意外でした

そんなんで、いいんかいな・・・と思って

 

でもねぇ、本来なら、そんなんでいいんじゃないかなぁ・・・と思えて

だってね、暮らしてみないとわからないことはいっぱいあるし

ほんとに合いそうもないなら、無理してその先もずっと一緒にいるより

相性の良い人とやり直すほうが、いいと思う

 

こっちのアメリカンインディアンの本を読んだとき、結婚して一年は「試し婚」で、そこで合わないとわかれば、女性はいつでも堂々と実家へ帰ってよい習慣だったそうです

(部族によると思います)

 

納得だなぁ・・・と思いました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背水の陣のプリンセス

プリンセス真子は、海の王子様といよいよ念願叶って、ご結婚なさるんですね

個人的には、好きになった男性と結婚なさるのがよいと思います

周囲に引き裂かれた身分違いの恋、なんて、今どきちょっと古すぎます

 

ただねぇ・・・荒波すぎますねぇ、船出していく海が・・・

 

王子様の母親がどうでも、借金がどうでも、それはいいんですけど

 

アメリカのロースクールを卒業したばかりで、弁護士試験に受かったかもまだわからないピカピカの一年生

この弁護士試験、あのミシェル・オバマでさえ、一度落ちています

 

首尾よく、受かったとしても、何もかもが高額な(と聞いている)ニューヨークで

これ以上あり得ない箱入り娘を妻にして

生き馬の目を抜く業界で、毎日、遅くまで働く日々

独身時代のミシェル・オバマでさえ、疑問を持った仕事ひと筋の弁護士の生活

お給料はかなりもらえて、贅沢な暮らしはできたようですが

私なら、考えただけで、気が重くなります(弁護士なんてなれないし、なりたくないけど)

 

が、ふたりはまだ若いし、四方八方からの反対を押し切ってやっと叶った結婚ですから

しばらくは、幸せいっぱい夢いっぱいで、降りかかる困難も、力を合わせて乗り切れるはず

 

でもねー、アメリカで暮らすって、やっぱりしんどいこと多いです

言葉の違いはもちろん

食べ物から、お風呂のあるなし、家で靴を脱ぐか脱がないか、など、いろんな生活習慣の違い

社会の違い

 

最初は楽しいけど、だんだんしんどくなってくること、多いです

ま、それもひとそれぞれ、とは思います

 

アメリカの生活に積極的に馴染める人もいれば

ダメな人もいる

良いこともあれば、悪いこともある

 

ので、移住後も物事を柔軟に考えられるとずいぶんラクだと思います

 

その点、プリンセス真子のように「背水の陣」でアメリカに移住してくる

というのは、スタートの時点から、ずいぶんしんどいことだと

他人のことだけど、気の毒になります

 

かぐや姫の「妹よ」じゃないですけど

「だめだったら、戻っておいで」とそっと言ってくれる親がいない

つまり、いよいよとなったら帰れる場所があるとないとでは、精神的にエライ違いです

必要以上に、機能していない関係にしがみつく結果になりかねません

(個人的な経験から言っても)

この状態が、異国で起こると、かなり辛い・・・

実際には帰らなくても「帰れる場所がある」と思えば、それを支えに頑張れるものです

 

これが、せめて、日本国内で地味にご自分たちの幸せを築いていく、というのだったら、どんなに気楽だったことかねぇ・・・

 

まったくもって、平民の余計なお節介ですが、母国を離れて、海外で結婚した日本人のひとり、の率直な感想です

 

 

そういえば、ずいぶん昔にも、いらしたんですってね、こういう方が

今の天皇のお后候補だった皇族の女性で、反対を押し切って一般市民に嫁いで、その後離婚、そして再婚

逞しい方だなぁ、と敬服しました

 

 

9.11 の災害救助犬たち(追記しました)

9.11のことをブログに書くのも、今日で3日目になりますが

多分、これが締めになるかな

 

Search and Rescue Dog 災害救助犬の仕事は、災害の起こった場所から生存者を見つけ出すこと

でも、ワールドトレードセンターが崩壊した現場では、ほとんどの救助犬は生存者を見つけることができませんでした

生存者を見つけられず、捜索する意欲を失いそうな救助犬のために、がれきの中に「偽の生存者」が隠れて、犬たちに見つけさせたそうです

そうよね、毎日毎日、がれきの中を探し回って、何もみつからないんじゃ、やる気も失せるよね

 

最初に出動したのは救助犬で、その後遺体捜索犬が加わり、セラピードッグももちろんずっといたそうです

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こういう写真を見ると、泣けてくる・・・

 

出動した犬たちは、全部で300頭以上

最後の生き残りだったBretagne(ブリトニー)も、2016年に旅立ちました

すべての犬たちの、献身的な働きに、心から、どうもありがとう

そして、ご苦労さまでした

 

ー追記ー

爆発物探知犬のシリウスは、タワーが崩壊した時、現場にいて亡くなりました

シリウスのパートナーだったオフィサー、ディビッド・リムは5時間後にがれきの下から救助されます

 

シリウスの亡骸が見つかった時、動いていた全ての機械や重機は止められ、静かになった現場で、全員が整列、敬礼し、星条旗に覆われたシリウスの亡骸が、オフィサーリムに抱き抱えられ、運び出されるのを見守りました

 

しばらくたって、星条旗とシリウスの遺灰、そしてシリウスが水を飲むのに使っていたボウルが、オフィサーリムのもとに届きます

そのボウルは、タワーが崩壊した数か月後に、がれきの中から見つかったものでした

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シリウスとオフィサーリム

合掌

 

 

 

助けようとする人たちが、必ずいる

ニューヨークもポートランドも、今日も20年前と同じ、青空が広がっています

 

今朝は朝5時すぎから起きだして

ニューヨークのグランドゼロでの追悼セレモニーをテレビで見ました

 

ハイジャックされた旅客機が、ツインタワーやペンタゴンに突っ込んだ時間

ペンシルバニアの草原に墜落した時間

タワーが崩落した時間

 

それぞれに Moment of Silence (黙とう)の時間がありました

 

セレモニーでは、遺族の代表がふたり一組になって、犠牲になった人たちの名前をフルネームで読み上げ、最後に亡くなった家族への思いを語ります

ワールドトレードセンターだけでも2600人以上の人たちが亡くなったので

何組ものペアが、入れ替わり立ち替わり、名前を読み上げます

日本人の名前も何人もありました

 

 

読み上げる遺族を見ていると、小学生の高学年から中学生など、あきらかに二十歳以下であろう子どもが多いことに気づきました

亡くなったおじいさんやおじさんには、会ったこともないのに、まるでよく知っているかのような話しぶりと優しい表情に、少なからず驚きを感じました

その子たちのお母さんや家族が、折に触れ、亡くなった人のことを話してきかせているんだなぁ・・・と想像できて、ほんのりと私の心も温まりました

 

 

9.11は、人間の中にある悪魔のような残酷さを、惨いほど見せつけました

そんな中で、ごく普通の人たちが示した良心と勇気は、私の想像をはるかに超えていました

 

皆が命からがら降りてくるその階段を、上に向かって駆け上っていく消防士たち

その目からは、生きて戻ることができない覚悟が見て取れた、と新聞記事にありました

私には想像すらできない勇気と使命感・・・

 

サブウェイは止まり、橋やトンネルも閉鎖され、主要道路は緊急車両しか通れない、陸の孤島になったマンハッタン

避難する人々が頼れるのはフェリーだけ、となった時、コーストガード(沿岸警備隊)の要請に応えて、民間のフェリーやタグボート、ヨットなどが続々と集まってきて、人々を対岸へ避難させるべく、ピストン輸送を続け、50万人ものニューヨーカーを救出しました

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テロにより、米国内のすべての空港が閉鎖されて、行き場のなくなった38機もの旅客機は、カナダのニューファンドランド島の小さな町に緊急着陸し、その町の人々から5日間にわたって、温かくもてなされました(有名な話ですね)

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目を背けたくなるような場面であっても、苦しんでいる人、困っている人を助けようとしている人たちが、必ずいる

その人たちに目を向けなさい

 

という言葉がありました

 

合掌

 

September 11 ー あの日から20年

日本は今日が9月11日ですが、こちらは明日

世界を震撼とさせた、あの衝撃的な同時多発テロから、今年で20年になります

 

2001年9月11日の朝

オットと私は、私のグリーンカードの申請をするため、ポートランドにある移民局へ行こうとしていました

出掛ける前にテレビはつけなかったらしく、アパートを出て、駐車場に停めてある車へ向かって歩いていたら、オットの同僚が車で通りかかりました

挨拶して、どこへ行くのか聞かれたので、話したら

「今日は移民局はやってないと思うよ」「テレビ見てないの?」

「帰ってテレビ見てごらん」

と言われて、そのまま部屋へ戻り、テレビをつけて

 

画面に映る光景に、息を吞み、我が目を疑いました

 

ニューヨークとは3時間の時差があるので、今思えば、あの時見たのは録画だったと思いますが

ワールドトレードセンターに向かって、カーブしながら突っ込んでゆく旅客機の映像を見た瞬間、思わず

「パイロットはもう死んでる!」

と口走った記憶があります

だって、パイロットが生きていて、飛行機をコントロールできるなら、自分が操縦する飛行機をワールドトレードセンターに突っ込ませるようなことは、決してしないはず

 

その日は、ずっとテレビに釘付けだったはずだけど、それ以外にどう過ごしたのかまったく覚えていません

その日の晩は、昼間テレビで見た映像が頭から離れず、悪い夢を見ているようで、よく眠れませんでした

 

これまでは、毎年9月11日に行われる追悼の式典やそれにまつわる特別番組は、ほとんど見たことがありません

当時の映像も見るのを避けてきましたが

今年は、明日の追悼のイベントを早起きして、リアルタイムで見ようかと思っています