オレゴンから、Hi♪

アメリカ西海岸のオレゴン州から、還暦過ぎのあれこれをつぶやきます

おばあちゃん

やっぱりこういう話は書かないほうがよかったんじゃないか・・・

とすでにちょっと後悔してるとこもあるんだけど

★をつけてくださる方に、勇気づけられて、書きます

 

私の子守りをしてくれた祖母は、高知の片田舎で、つましく暮らしながら、家事もお金のやり繰りも上手にやって、5人の子供を育てあげました

祖父は父の大学入試の時に亡くなってます

 

祖母は私には、よくしてくれたと思います

意地悪された記憶はありません

叱られた記憶は、指しゃぶりを止めなさい、と言われたことくらいしか覚えてません

セーターも編んでくれたし、浴衣も縫ってくれた

梅酒でかき氷もこしらえてくれたし

新聞に入っている洋服の広告を見ながら「このページの中のどの服がいい?」という遊びもふたりでよくやりました

一緒に洋服を買いに行くと、「まけんかね」といって、店員さんに向かって必ず値切るのが、ちょっと嫌だったけど

もっと大きくなって、門限に遅れて締め出された私のために、玄関の鍵を開けてくれたのは、いつも祖母だったと思います

 

ただ、対 父、母となると、祖母はすごく扱いが難しい人だったと思います

新婚夫婦が新居(社宅)に入る前に、自分が先に家に入っていなければいけない、と言い張ったとか(自分の家に、嫁を入れる、ってことでしょうか)

割り当てられた部屋が、一番悪い部屋だったと文句を言ったとか

これは全部、後から聞いた話で、当時子供だった私は、何も知らなかったです

広島で、私が小学校の高学年だった時、家族と父の同僚家族で旅行に行った時、何か気に入らないことがあった祖母が、急に宿からいなくなって大騒ぎになりました

お隣の奥さんから「おばあちゃんがうちへホコリを掃きこむんです」苦情がきたこともあるらしい

 

実際、今、昔の写真を見ると、祖母はとても怖い顔をしています

 

 

異国情緒あふれる港町、函館で、商いをする家に生まれて、乳母日傘で育ち、私立の女子高でソフトボールのピッチャーで人気者だった母とは、住んだ世界も考え方も大きく違った

というのは想像できます