父のこと
去年の9月に88歳で他界した父は、大変な人でした
会社勤めも長くなって、嫁入り先の心配をされ始めた頃、会社に来ていた親切なお掃除のおばさんから「私の親戚に、体が不自由だけど、いろんなことがわかるひとがいるから、結婚のこととかみてあげようか」と言われて、お願いしたら、その返事を持ってきた開口一番
「こんなこと言うのはなんだけど・・・お父さんは、異常な方なの?」
へぇ、そんなことわかるんだぁ、と思いました
小学生の頃は、誕生日とかお出かけとか、楽しいはずの行事が、最後には父の機嫌が悪くなり、怒鳴り声で楽しかった一日がめちゃめちゃになる、というパターンばかりで、いつしかその楽しいはずの日が来ても「今日も、きっと最後は、パパが怒って終わりになる」と思っていました
私が高校生、大学生、社会人になってからは、父の言葉の暴力はさらにひどくなりました
ある晩、父のあまりの暴言に耐え切れず、母が玄関から飛び出していった時、父は「○○、探しに行ってこいっ!」と私に向かって怒鳴りました
あれじゃあ、母が聞いてられないのも当然だと思ったし「パパが怒らせたんだから、自分で探しに行けばいいじゃない」といったら、「お前は冷たい女だ!」と吐き捨てるように言われました
お酒を飲んだうえで、あまりにもくだくだと聞きたくもない話がしつこく続くので、嫌になって自分の部屋へ逃げ込んでドアに鍵をかけると、ドアが破れんばかりにドンドン叩き、仕方なくドアを開けた私は、また食卓へ連れ戻されて、座らされ、延々と批判やら説教やらを聞かせられました
仏頂面で座った私は、父の話は左から右へ流すだけ、感覚を麻痺させて耐えるしかありませんでした
ある時は、父の郷里である高知で、自分の姉をこたつに座らせ、彼女の欠点(父が欠点と判断したこと)について、あれやこれやと執拗に伯母を責めたて、批判し、ついにはたまらなくなった伯母は泣き出してしまいました
女のくせに魚をおろせないことがどれだけ非常識かに始まって、伯母に対する批判はどんどん拡がっていきました
私は、父の横に座らされ、その聞くに堪えない罵倒を聞き続けなければなりませんでした
こういうことは、ほんとうに何度も何度も繰り返され、ほとんど日常茶飯事でした
母が精神科の病棟に入退院を繰り返すようになった時、ある晩、父は函館に住む母の長兄の自宅に電話をして「結婚前から、こういう病気があったことを知っていたはずだ!」「責任を取れっ!」とものすごい剣幕で、受話器に向かって怒鳴り散らしました
後ろで聞いていた私は、恐ろしかったし、これでもう親戚の縁は切れた、と思いました
父の常軌を逸した言動は、他にも、大きなことから小さなものまで、山のようにあって、とても書ききれたものではありません
ただし、父がこういう言動を取るのは家族や親戚に対してだけ
会社関係の人たちや、学校時代の友達に対しては、ものがわかった、常識あるひととして行動しているので、皆は父にこんな面があることは知らないのです
だから、辛いと思っても、誰にも話せませんでした
父のことを「立派なお父さん」と思っている人たちにわかってもらえるとは、思えませんでした