オレゴンから、Hi♪

アメリカ西海岸のオレゴン州から、還暦過ぎのあれこれをつぶやきます

ひと粒ダイヤのネックレス

ここでひとくぎりにします、と宣言した舌の根も乾かぬうちに

やっぱり、まだ出てきちゃった

 

ここからは、ほぼ、もう大人になってからのことなので

「うちの父親って、こういう人でさ・・・もう、参ったよ」と薄暗いバーか居酒屋で、お酒を飲みながら、思い出してる感じです

子供の私ではなく、オトナの私です

 

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戦時中のモノがない、食べ物もない時代に、多感であろう少年時代を過ごした父は

モノを買う時はよいものを

戦争中にカボチャばかり食べさせられたので、食べる物は、美味しいものを、と思っていたようです

戦後の高度成長期で、経済的なゆとりもあり、買い物も外食も、気に入れば、少々値が張っても、厭いませんでした

 

家具や調度品を選ぶセンスも悪くなく

私にも、薄い長方形のフレームに、薄っすらパープルがかったワニ皮のベルトがついたおしゃれな腕時計を買ってくれました

就職祝いだったかな

 

でも、贈り物にまつわる思い出には、今でも思い出すと苦い気持ちになるものもあって

 

東京で勤めていた私は、出勤していた平日に、父に呼び出されて銀座へ行きました

昼休みだったのか

銀座の和光で、高価なハンドバッグを選ぶためです

誰の?

高知に住む(あるいは、上京して大学に通ってたかも)私より幾つか年下の従妹のためでした

地下鉄二駅とはいえ、制服のままわざわざ会社から抜けてきて、高級なハンドバッグを選ぶのを手伝った私には、何もなし

あの有名な和光の高価なハンドバッグを従妹には買い与えるのに、私はそれを選ぶだけ

はい、不満でした

 

次は、ティファニーのシルバーのネックレス

従妹の大学卒業祝いか、何かだったのか

当時、東京の虎ノ門病院に難病の治療で入院していたおば(従妹の母)を見舞った時に

母が、従妹に渡すんです、あのパステルブルーの小箱を

ティファニーのシルバー・ネックレスに、喜ぶ従妹

えー、私だって欲しいのに

従妹にはプレゼントするのに、どうして私には買ってくれないの?と心の中で恨んだけど、親には言いませんでした

 

和光のバッグは私の好みではなかったし、ティファニーのネックレスだって、自分で買えばよかったんですが、そういう問題ではなく・・・

親戚である従妹にはすることを、どうして私にはしてくれないんだろう、と

 

 

極めつけは、当時人気だったひと粒ダイヤのネックレス

父の仕事の関係で、両親が兵庫県に住んでいる時でした

父が「買ってやる」というから

母と3人でデパートへ行きました

そこの外商に、日頃お世話になっている担当者がいたらしいです

きらきらかがやくダイヤモンドがならぶ、宝石売り場のショーケース

珍しくワクワクしました

小粒だけどキラッと輝くカットのものが気に入って、それが欲しいと言いました

 

なのに、そのダイヤは質が劣るとか、なんとかいろいろ言われ

結局、外商の人と父が勧めるものを、買うことに

そういう方向に話が推し進められて行く時点で、私はむくれて、投げやりになりました

 

商品を見て、私が気に入って選んだのに、それじゃなく、自分がいいと思うものを買い与えるんなら、なんで私を一緒に連れてくるのよ

こんなんなら、自分たちで決めて買ってきたものを私に渡してくれればいいのに

と、私はどんどん不機嫌になるばかり

 

きれいに包装された高価なネックレスの小箱を受け取って、口から出た「ありがとう」は、形ばかりで、心なんてこもっているはずなかったです

それどころか、言いたくもない「ありがとう」を無理やり言わされている感すらありました

 

そのネックレス、つけるたびに湧いてくるのは、うれしさよりも、買った時の苦い思い出ばかり

 

ハワイに移住した後、今のオットと借りていた部屋に空き巣が入った時、そのネックレスも盗まれました

数えるほどしか持ってないジュエリーのうちで、一番高いものだったから、その意味ではがっかりしたけど、愛着はまったくなかったです

お勤め時代に自分で気に入って買った、くずダイヤが散りばめられたパヴェリングも一緒に盗まれて、こっちのほうがはるかに悲しかったな

 

こんなふうに、たとえ父が怒鳴らない時でも、私の心はしばしば傷つきました