『1883』を見て気づかされたこと
昨日の続きです
「アメリカにおける、銃にまつわる歴史は、それほどシンプルではないんだ、ということを最近実感した」と書きました
どう実感したかというと・・・
日本でも海外ドラマが好きな人たちに人気がある「イエローストーン」というアメリカのドラマがあります
私は見てないんですが、ケビンコスナーが出てます
(↓英語版ですが、吹き替えより迫力が伝わりそうなので)
Yellowstone Season 1 Trailer | Rotten Tomatoes TV - YouTube
このドラマのスピンオフとして去年の12月からアメリカで配信されているのが、前日譚ドラマの『1883』で、ロードトリップに出る前にこれを見る機会がありました
最初はさほど興味がなかったんですが、見ているうちに引き込まれ、見終わって、思いがけず考えさせられました
住み慣れた土地を離れ、ただで土地が手に入るオレゴンでのより良い生活を目指して、幌馬車に家財道具をすべて積み込み、何か月もかけて西を目指して移動した人たちにとって、銃は泥棒やインディアン*の襲撃から自分たちを守るために、なくてはならないものだった・・・
ということに、あらためて気づかされました
*これについては、また別の深い問題がありますが、ここでは書きません
要するに、アメリカ人のDNAには、自分を守るために不可欠なものとして「銃」が深く強く根付いている
・・・のかもしれない、と思ったんです
しかも、『1883』という数字を見てもわかる通り
ドンパチやって生き延びていた時代から、まだ150年も経っていないんです
つい最近の「過去」なんです
ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが生きた時代
はっきりと遡れる過去のことなんです
つまり、銃は、普通の人にとって、それだけ身近なものであり、生活必需品のひとつであり得るんだ・・・ということに、改めて気がつきました
それとアメリカはなにしろ広大です
ド田舎に住んでたり、牧場経営してたら、隣の家が見えない、ってこともあるでしょう
何かあっても、警官がすぐ飛んでくるわけにはいかないから、助けが来るまでは、自分の家族や家は自分で守る、が基本なんだと思います
となると、やはり銃が必要でしょう
今、アメリカで頻発している銃の乱射事件は、もちろん異常です
ただ、銃を所持している人の多くは、しっかりと地に足がついた考えのもとに、銃を所持・管理し、ハンティングなどに使っているはず、と想像しています
現に、小鹿姉妹の両親はハンティングしますが、むやみやたらと銃を持ち出して私たちに見せたりしません
学校や公共の場で、乱射事件を起こすのは、心に闇を抱えている若者(もしくは大人)
未熟な若者が、家族や社会から孤立し、簡単に手に入る銃を使って、持って行き場のない苦しみや鬱憤を、何の関わりもない無抵抗な子供たちに向かって、ぶちまける
これが今起こっているスクールシューティングだと、私は思うんです
だったら、そんな苦しみを抱えて精神不安定な人間が、簡単に銃を購入できないように法律を改正すればいい
なのに、それが一向に進まないのは、銃製造業界と政治家が利益がらみで癒着しているから
ということらしいです
トランプが大統領になったことで、アメリカの内部に巣食っていた闇や膿が滲み出始めました
性善説で動いていたシステムの欠陥があらわになり
これまでだったら考えられない事態が、次々と起こっています
こんな混乱の時代のアメリカにたまたま住んでいて、次々と起こる事態をリアルタイムで経験していることが、果たしていいことなのか・・・
わかりません・・・