オレゴンから、Hi♪

アメリカ西海岸のオレゴン州から、還暦過ぎのあれこれをつぶやきます

母に対する怒りと恨み

物心つく頃から、私には「ママ大好き」という気持ちや、甘えたりした記憶がありません

楽しかった時間がまったくなかったはずはないだろうに、ぜんぜん憶えていません

いつから、どこから、こうなったのか・・・わからないです

 

なのにひとつだけ、忘れられない記憶があります

小学校3年くらいだったと思うけど、その記憶も定かではなくて、前後関係も覚えてません

ただ、私が母に何かを頼んだか、尋ねたんだと思います

母の返事は「ママがいなかったらどうするの?」でした

その返事は、当時の私にとっては、甘えたところを、ズンと突き放されたようで、ものすごいショックだった

「いるから聞いてるんじゃないっ!」

と怒って癇癪を起したように言い返した気がしますが、よく覚えてない

心の中で叫んだのかもしれないけど、とにかく母のその返事に打ちひしがれた

 

「そんなこと言うなら、もういいよっ!ママになんかもう絶対に頼まないっ!」

 

そんな母をはねつけて、そう心に決めてしまった

 

そこから先は、自分を守る塀をどんどん高くして、鎧もどんどん重ね着して、どんどん冷めた、拗ねた子供になっていったと思う

だって、もうこんな思いしたくなかったから

 

母がそう返事した意図なんてわかりませんが、子供だった私の心は大きく傷つきました

今、思い返しても、悲しいのと腹が立つのと切ない気持ちが、よみがえってきて、胃袋を掴まれたような感じがします

 

ずいぶん大人になってから、何かの時に友達にこの話をしたら

「お母さんも、あなたのことを思ってそう言ったのかも」と母を弁護するようなことを言われて、腹が立ち、やっぱり言わなければよかった、と後悔しました

 

もうひとつ、私が母を恨んだことがあります

母は、祖母との関係だけでなく、父との関係も上手くいってなくて

小学校の高学年くらいから、私は、母の愚痴の聞き役でした

「そんなに嫌なら別れてもいいよ」とか「○○してみたら」とか、食卓を挟んで、母のカウンセラーでした

何度も、何度も、同じ愚痴を繰り返し、繰り返し、聞かされました

聞いてあげないといけないと思っていた

 

なのに、何かあって、父が私を怒る時、母は全然私の味方をしてくれなかった

父の怒りからかばってくれたことなんて、一度もなかった

「私はいっつもママの話を聞いてあげてるのに、私がパパに怒られてる時、ママは私を助けてくれない」

「パパと一緒になって、私を怒るなんてひどい」と思った

 

これを書きながら、私の身体の中に、こんな昔の古傷の痛みと怒りが、まだ執拗に残っているのを感じます

母が生きているうちに、母に向かって、この怒りをぶちまけられたらよかったのに