オレゴンから、Hi♪

アメリカ西海岸のオレゴン州から、還暦過ぎのあれこれをつぶやきます

母のこと

母は、若い頃から美人でスタイルもよく、傍から見れば、明るくてよくできた奥さんだったかもしれません

でも、私が大学生か社会人になった頃、また私に愚痴でも言っていたんでしょう、その時「自分を大事にするって、どういうことなのかわからない」と母が私に言いました

 

 

父が課長に昇進して東京から長崎へ栄転になった時、「課長夫人になるんだから、がんばらなきゃ」と張り切り、ほどなくして、心の病を得ました

私は小学校低学年だったので、憶えていません

その後も、私の学生時代、社会人になった後と、何度か再発して、最終的には精神科で入退院を何度か繰り返した後、寛解ということで父とふたりで暮らす家に戻りました

その直後に、親戚の不幸があり、それをきっかけに状態が急に悪化して、緊急入院させてもらった病院で、2週間もたたないうちに急死しました

まだ、59歳でした

 

家に戻る前に、健康診断を受けていて、亡くなった後、結果が戻ってきましたが、どこも悪いところはありませんでした

 

鬱が極限までひどくなると、しゃべれなくなり、体も動かなくなると、この時初めて知りました

車いすに座って、目だけはしっかり見開いている母に向かって、「大丈夫だよ。○○(妹)とふたりでちゃんと面倒みるから、安心してね。ゆっくり治そう」と母に声を掛けました

母は、私の言ってることが、わかっているように見えました

母は、これ以上娘ふたりに迷惑をかけたくないから、生きることをあきらめたんだ、と思います

 

そんな母だったので、姑のこと、夫のこと、自分のことでもう精いっぱいで、私の気持ちまで考える余裕がなかったんだろうと思います

そうじゃなければ、まだ小学生だった私をカウンセラーにはしなかったはず

 

もうひとつ私をいらだたせたのは、母がなんとなく私に遠慮しているような気配があったことです

「お姉ちゃんは食べ方がきれい」とか、折々褒めてくれましたが、私にはかえって空々しく聞こえました

うわべだけ、優しいことを言ってるけど、本気で私のために向き合ってくれていない気がした

だから、母のことが、信じられなかった

 

40をとっくに過ぎたある日、ネットのブログである記事を読みました

それは、運動会のリレーに出ることになっている中学生の娘さんが、お母さんにした質問でした

娘「お母さん、リレーでね、もしバトン落としちゃったら、どうしたらいい?」

母「あら、カンタンじゃない。拾って走ればいいのよ!」

これを読んで、私はいきなり号泣してしまった

「ええっ?!こんな簡単なこと、お母さんに聞いていいのっ?!ずるいっ!」と思った

こんな簡単なことを母に尋ねたことのない、尋ねようと思ったこともない私は、大泣きしました

 

どれだけ、自分がいろんな思いを抑え込んでいたのか、不安なのに不安じゃないふりをして、わからないのにわかっている振りしていたのかを、どんなに親の前で強がっていたのか、を40すぎたその時、目の前に突き付けられたようで、あの頃の子供だった自分がすごくかわいそうになってしまったんです

 

この時は、もう母は亡くなった後でした