母に対する怒りと恨み
物心つく頃から、私には「ママ大好き」という気持ちや、甘えたりした記憶がありません
楽しかった時間がまったくなかったはずはないだろうに、ぜんぜん憶えていません
いつから、どこから、こうなったのか・・・わからないです
なのにひとつだけ、忘れられない記憶があります
小学校3年くらいだったと思うけど、その記憶も定かではなくて、前後関係も覚えてません
ただ、私が母に何かを頼んだか、尋ねたんだと思います
母の返事は「ママがいなかったらどうするの?」でした
その返事は、当時の私にとっては、甘えたところを、ズンと突き放されたようで、ものすごいショックだった
「いるから聞いてるんじゃないっ!」
と怒って癇癪を起したように言い返した気がしますが、よく覚えてない
心の中で叫んだのかもしれないけど、とにかく母のその返事に打ちひしがれた
「そんなこと言うなら、もういいよっ!ママになんかもう絶対に頼まないっ!」
そんな母をはねつけて、そう心に決めてしまった
そこから先は、自分を守る塀をどんどん高くして、鎧もどんどん重ね着して、どんどん冷めた、拗ねた子供になっていったと思う
だって、もうこんな思いしたくなかったから
母がそう返事した意図なんてわかりませんが、子供だった私の心は大きく傷つきました
今、思い返しても、悲しいのと腹が立つのと切ない気持ちが、よみがえってきて、胃袋を掴まれたような感じがします
ずいぶん大人になってから、何かの時に友達にこの話をしたら
「お母さんも、あなたのことを思ってそう言ったのかも」と母を弁護するようなことを言われて、腹が立ち、やっぱり言わなければよかった、と後悔しました
もうひとつ、私が母を恨んだことがあります
母は、祖母との関係だけでなく、父との関係も上手くいってなくて
小学校の高学年くらいから、私は、母の愚痴の聞き役でした
「そんなに嫌なら別れてもいいよ」とか「○○してみたら」とか、食卓を挟んで、母のカウンセラーでした
何度も、何度も、同じ愚痴を繰り返し、繰り返し、聞かされました
聞いてあげないといけないと思っていた
なのに、何かあって、父が私を怒る時、母は全然私の味方をしてくれなかった
父の怒りからかばってくれたことなんて、一度もなかった
「私はいっつもママの話を聞いてあげてるのに、私がパパに怒られてる時、ママは私を助けてくれない」
「パパと一緒になって、私を怒るなんてひどい」と思った
これを書きながら、私の身体の中に、こんな昔の古傷の痛みと怒りが、まだ執拗に残っているのを感じます
母が生きているうちに、母に向かって、この怒りをぶちまけられたらよかったのに
おばあちゃん
やっぱりこういう話は書かないほうがよかったんじゃないか・・・
とすでにちょっと後悔してるとこもあるんだけど
★をつけてくださる方に、勇気づけられて、書きます
私の子守りをしてくれた祖母は、高知の片田舎で、つましく暮らしながら、家事もお金のやり繰りも上手にやって、5人の子供を育てあげました
祖父は父の大学入試の時に亡くなってます
祖母は私には、よくしてくれたと思います
意地悪された記憶はありません
叱られた記憶は、指しゃぶりを止めなさい、と言われたことくらいしか覚えてません
セーターも編んでくれたし、浴衣も縫ってくれた
梅酒でかき氷もこしらえてくれたし
新聞に入っている洋服の広告を見ながら「このページの中のどの服がいい?」という遊びもふたりでよくやりました
一緒に洋服を買いに行くと、「まけんかね」といって、店員さんに向かって必ず値切るのが、ちょっと嫌だったけど
もっと大きくなって、門限に遅れて締め出された私のために、玄関の鍵を開けてくれたのは、いつも祖母だったと思います
ただ、対 父、母となると、祖母はすごく扱いが難しい人だったと思います
新婚夫婦が新居(社宅)に入る前に、自分が先に家に入っていなければいけない、と言い張ったとか(自分の家に、嫁を入れる、ってことでしょうか)
割り当てられた部屋が、一番悪い部屋だったと文句を言ったとか
これは全部、後から聞いた話で、当時子供だった私は、何も知らなかったです
広島で、私が小学校の高学年だった時、家族と父の同僚家族で旅行に行った時、何か気に入らないことがあった祖母が、急に宿からいなくなって大騒ぎになりました
お隣の奥さんから「おばあちゃんがうちへホコリを掃きこむんです」苦情がきたこともあるらしい
実際、今、昔の写真を見ると、祖母はとても怖い顔をしています
異国情緒あふれる港町、函館で、商いをする家に生まれて、乳母日傘で育ち、私立の女子高でソフトボールのピッチャーで人気者だった母とは、住んだ世界も考え方も大きく違った
というのは想像できます
小さかった頃
今日はちょっと暗くて重たい話になります
そういうのが嫌な方、どうぞここでストップしてくださいね
このブログは、日々、書きたいと思ったことをあれこれつぶやく、つもりで始めました
メンタルヘルスブログにするつもりはなかったので、調子が悪い時はブログの更新も減る・・・って感じでやってきました
要するに暗い話、聞いても楽しくない話は、書かない
これ、子供の頃からずーっとやってきたことで「こんなこと聞かされても楽しくないし、話してもきっとわかってもらえない」と思って、自分の辛い気持ちや、家庭で起こっている嫌なことについては、ほとんど誰にも言わずにきました
でも、あるのに、ないことにしていても、その気持ちは消えることなく、ずーっと残ってしまって
それが、繰り返しやってくる鬱の原因じゃないか、と思いました
人に言わずにいても、時が経っても、いろんなことを試しても、ブラックホールみたいな思いは消えないし、全然ラクにならないので
ここで、その辛かったことをつぶやいてみよう、と思います
私は、母にも父にも同居していた祖母(父の母)にも、ほんとうにはなつけませんでした
特に、母とのつながりが悲しいほど薄くて
私が生まれた後、家に女はふたり要らない、ということで、祖母が子守りで、母は近所の電気店へ働きに出たそうです
小さかった時の一番最初の記憶は、朝目が覚めると、ふとんの横に座っていたのはおばあちゃん「ママはどこ?」って思ったような
ほんとにあったことかどうか記憶がはっきりしないけど、通りで遊んでいて、母がバスに乗り込むのが見えて「ママーっ!」って呼んだのに、気づかずに行ってしまったり
私をおんぶして散歩にいったのも、祖母
夜寝る前にお話しをしてくれたのも、祖母
母と一緒のうれしかったり、楽しかったり、安心した記憶が、ほとんどありません
母と祖母の間が上手く行っていなかったことも、幼いながら感じ取っていたと思います
私には「ママと一緒に死のうか」と母が私を抱きながら言ったおぼろげな記憶があります
だから、おばあちゃんに甘えると母を裏切ったように感じ
逆に母に甘えると、今度はおばあちゃんに悪いような気がして
結局は、どちらにも安心して甘えられなかったような
その時は、子供だったからそうは言えなかったけど、そんな感じだったんじゃないかと今、思います
つづく
言うのは簡単
ちょっと前までは、毎日書いてたブログが、メンタル低空飛行になってから
書けなくなった
鬱になると、回りの世界から色が消えてしまったような感じになる
天気が良くても気分はあがらないし、悪ければ当たり前に下がる
それでも、公園で野ウサギやシマリスを見かければ、心のバイブレーションがちょっぴり上がる
庭の花がきれいに咲いたり、ラベンダーにたくさんの蜂やチョウが飛び交ってるのがうれしくて、じーっと見つめる
でも、鬱はやっかいだ
FBで、時々友達が、鬱に苦しむ家族や友達を思って、こんなポストをする時がある
「辛い時はいつでも電話して、玄関のドアもいつだって開いてるし、飲み物も用意してあるから」
こういうポストを見るたびに、嘘っぽいと思ってしまう
言うのは簡単
でも、「いつでも」って、ほんと?
来るか来ないかわからない「鬱の友達」のために、いつでも電話に出られて、いつ行っても暖かく迎えてくれて、一緒にお酒かなんか飲みながら話せる、なんて現実的?
あり得ないでしょ
去年の今頃も、私はかなり鬱で、落ち込んでいた
鬱になるとやっかいだ
人恋しいんだけれど、人に会いたくない
そんな時、FBのメッセンジャーで調子が悪いと訴える私に、友達は「明日、電話するわ」と言った
私は、朝からずーっと彼女からの電話を待った
でも、結局、かかってこなかった
他の用があったからだ
私は、ものすごくがっかりした、待ちぼうけを食わされた気がした
彼女にとってはそれほど大事なことではなかったらしく
それほど悪いコトをした、という感じもなかった
これを契機に、私は彼女から距離を置くことにした
今回が初めてじゃなく、これまでにも少なくとも2度、3度、彼女の言動で私の気持ちが動揺したり、不安になったりしたことがあったから
彼女には悪気はないので、いっそうやっかいだ
彼女がありのまま振るまうと、私の心が傷つく
なら、私が距離を置いて、自分を守るしかない
命の電話とか、自殺防止ホットラインとか
もちろんそれで救われる人も大勢いるだろう
でも、根っこの苦しみは、その人の心の奥深くに巣食ってる
だから、昨日まで笑顔で友達から愛されていた人が、突然命を絶って、周囲を驚かせ、悲しませる
マスクもソーシャルディスタンスも要りません
今朝の気温は、64F(18℃)曇り
気温が劇的に下がりました
週末から3日間続いた熱波が、噓のよう
それでも今日の予想最高気温は、91F(33℃)です
今日、6月30日から、オレゴン州とお隣のワシントン州で、マスク着用やソーシャルディスタンスなどのコロナにまつわる規制が、すべて解除されました
スーパーでも、マスクなしで買い物ができるし、店員さんもマスク不要
レストランやイベントの人数制限もなくなり、パンデミック前の状態に戻ります
ただし、これはワクチン接種を済ませている人のみが対象
接種していない人や完了してない人は、これまで通りマスク着用する必要がありますが
これは自己申告
今日から2週間くらいたったら、感染者が少し増えたりするんでしょうか
私も2回目のワクチン接種を、先週の金曜日に済ませました
熱波到来の最中に、副反応で苦しむなんて最悪・・・!
と思ったけど、副反応は思ったほどなく、1回目同様、注射した腕に痛みがあったことと、翌日、数時間倦怠感に襲われた程度で、鎮痛剤も飲まずに済みました
ちょっと拍子抜け
オットが同僚から
「注射した腕をできるだけ、ぐるぐる動かすようにすると、痛みが出にくい」
と聞いたので、その通りにしたら、確かに一回目より腕の痛みが軽かったです
2回目の接種から2週間後の7月10日から、私もマスクをしなくてもよくなります
コーヒーカップから湯気
今朝の気温は、64F(18℃)やっといつもの夏の朝、7時半
今朝は6時前から、裏庭と前庭の水やり
今日も最高気温は35℃近くまで上がる予想
今、スプリンクラーでしばらく水撒きしてさらに涼しくなった裏庭で、コーヒー飲みながら、これ書いてます
コーヒーカップから湯気が・・・そんなに涼しいんだ、今朝は
久しぶりに小鳥の鳴き声があちこちから聞こえてきます
ハミングバードもやって来て、さっき吊り下げたばかりのネクターと近くの花から、朝ごはん食べてました
40℃越えの熱波が来てたこの3日間、小鳥たちの姿がぜんぜん見えず、鳴き声も聞こえませんでした
どこか涼しいところへ避難してたのかな
なので、ハミングバードが戻ってきて、うれしかったです
この熱波で、葉っぱが茶色く焼けてしまっただけでなく、咲いていた花も日に焼け、色褪せて、残念な姿になってるものがたくさん
ブルーベリーなんて、枝についたまま、ドライフルーツみたいになってて
ため息が出ます・・・
今年も、近くの農園へブルーベリー狩りに行こうと思ってるんだけど、大丈夫かなぁ
被害を受けてないといいけど
猫に暑い日は、年に数日っていうけど、さすがに猫たちもこの熱波は堪えたようです
猛烈な熱波が到来中
今朝の気温は、89F(32℃)まだ8時半
先週の金曜日から、記録破りの熱波が来てます
土曜日、日曜日も、100F越え
こうなると、戸外で日陰にいても全然涼しくない
40℃超えるのは、今日までだけど、これからしばらく30-35℃の日が続くらしい
家のセントラルヒーティングについてるエアコンは故障しているので
友達がポータブルのエアコンを貸してくれました
これで2階にある私の部屋を冷やして、その冷気を他にも拡散・・・の予定が
他の部屋までは十分冷えないし、稼働音がかなりうるさい
でも、ないよりは100倍涼しい
有難い
階下にあるリビングルームの暑さに耐えられなくなると、ここへ来て、涼む
オットも猫も
熱波到来から、毎日、朝晩、涼しいうちに、庭やプランターに水やりしてるにもかかわらず
カラッカラに干乾びて、茶色くなってる葉っぱがあちこちに
あまり食欲もなかったけれど、急にビシソワーズが食べたくなった
作るのは簡単だけど、このとろみのある液体を冷やすのが大変だった
暑い日は冷蔵庫はいっぱいだし・・・
でも、美味しかったです
今日の午後の予想気温
冷房が寒くなってきたので、リビングルームに移動します
あと一日!